負債100万円からのスロット奮闘記!

パチスロで負けた100万円を遂にパチスロで取り戻すことに成功!
2017年からはスロで稼いで家族旅行へ!!

YUMMY と パチンコ (故郷編) 


これから3回にわたって



僕がパチンコ、スロットに出会い



現在に至るまでの物語を記事にします。



同世代の方々には共感して頂けるかな。



それでは参ります。





僕が初めてパチンコ店に足を踏み入れたのは高校時代。



違法だということをあまり認識してませんでした(汗)



当時、部活にバイトと忙しい日々を過ごす中



友人達に誘われて何気に行ったのがきっかけです。



学校が休みの土日などに



友人達と開店前から並んでいました。



今ではあり得ないサービスですが



その頃には「モーニング」と呼ばれるイベントがあって



既にボーナスフラグが成立している状態でのオープン。



つまりコインをいれて7を揃えるだけ。



そんなモーニング台を狙うために並ぶのでした。



1回転回して揃わなければ別の台へ…みたいな。



その対象機種によく選ばれていたのが




クランキーコンドル



多彩なリーチ目、技術介入要素の大きさなど



とても人気の台でした。



友人達は開店ダッシュでクラコレへ。



僕一人だけはパチンコへ…。



なぜなら目押しが全く出来なかった。



見える訳が無いと思い込んでました。



そして僕がよく打っていたパチンコが




ファンキードクター



スペックはよく覚えていませんが



とにかく甘デジ以下くらいの確率で出玉もショボイ。



しかし確変に入れば連チャン率はかなり高かったと思います。



大当たり後に天使が出れば確変!



悪魔が出たら通常。



なんとも分かりやすいドット演出のみの台でした。



当たりを引くことなく帰るってのがまずなかったので



一人で朝からのんびり打ってました。



もちろん友人達からは



「朝から並ぶ意味が無い」と言われてましたが



パチンコをすることよりも友達と遊ぶことのほうが



楽しかった僕にはそれで良かったんです。



それから自動車学校の資金を貯めるために



部活の合間にはひたすらバイトをして



空いた時間は年上の彼女に会いに行くという生活が続き



パチンコに行く暇はありませんでした。



そして高校を卒業と同時に両親は他県に引っ越し



僕は専門学校(1年)に通います。



専門学校中も学費を払うためにバイトを掛け持ち。



ほぼ毎日夕方6時から明け方4時までバイトしてました。



学校行きながら月13〜15万は稼いでましたが



さすがに身体を壊したりもしました。



そして専門学校を卒業し遂に社会人へ。



技術職ですのでひたすら下積みの時期です。



友人達はまだ大学生だったので



休みの日には再びパチンコ店へ行くことになりました。



みんながハマっていたのは




大花火



リプレイハズシなど、これまた技術介入要素が高い機種。



そんな中、相変わらず目押しが出来ない僕が打ってたのは




海物語



偶数図柄で揃ったあとに全図柄が走って確変入ったり



9、1のダブルで魚群!とか



シンプルながらに熱くもなれました。



それでもまだ友達といることが楽しいだけで



一人でも打ちに行くことはありませんでした。



仕事も大変でしたが充実していて



ひたすら技術の習得に時間を費やし



晴れて一人前と認められ始めた頃



とんでもない機種が登場します。





ミリオンゴッド



「一撃5000枚」というフレーズが



世に蔓延りました。



GODさえ引ければそれで10万です。



しかも1時間くらいで出ます。



ホールは異常な光景でした。



千円札の束をコイン投入口に挟み



サンドにジャブジャブ入れてる人達ばかりでした。



まさに廃人製造マシン…。



当時の僕の給料ではとてもじゃないけど



手が出せるものではなかった。



友人達もガメラや他の機種を打っていた。



そして遂に僕もスロットを打ってみることになる。



初めて触った機種が




海一番




ゲーム性がほぼパチンコと同じため



入りやすかった。



当初は7を揃えることが出来ず



友人達に教えてもらいながら



少しずつ上達していった。



何より驚いたのが



スロの一箱とパチンコの一箱の金額の違い。



たったこれだけでこんな金額になるのか!と



とても驚いたものだった。



そしてスロットを打ち始めるようになる頃



本業で1つの大きな決断をすることになる。



何とか一人前と呼ばれるところまで来たものの



自分に自信が持てなかった。



なぜなら基礎がおろそかになっていたからだ。



何の仕事でもそうだが



基礎を完璧に理解してこそ、その先に広がりが持てる。



しかし僕は1人前になるのを焦ったために



小手先の技術ばかりを追い



肝心の基礎が身に付いていなかったのだ。



「このままで自分の腕一本で一生仕事していけるのだろうか?」



毎日不安だった。



そして遂に両親の住む別の県へ引っ越し



業界でも有名な超厳しいお店へと移り



一からやり直す決意をした。



25歳間近の秋だった。





次回、YUMMYとパチンコ(新天地編)に続く…

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